リバプールの残虐王

みなさまいかがお過ごしですか。

わたしは年明けくらいから右下腹部痛に悩まされつつ、

バイト先は人材が枯渇していて、苛々は募り

元々、あらゆるものに対する怒りとか憎しみとかそう言う負の感情で生きているのが

ますます増長されてものすごく内面的には殺気立っています。

もちろんそんなことは表に出したりしないですが。

内に秘めたるどす黒いものに突き動かされています。

最近は専らNapalm Death,Carcassの初期を聴いて原動力を高めています。

 

4月8日から、飯塚吉原町のセントラルビルにあるHulotさんにて、

2週間の展示をやることに決定しました。

「わたしは何の取り柄もない、素寒貧な若者だった。」というタイトルです。

実質、筑豊を離れる前に自分で企画してやる展示はこれが最後になると思います。

夏頃には筑豊離脱予定。

その後、また戻ってきて展示するかもしれないし、その辺はわかんないです。

 

冒頭で書いた通り、わたしは内なるところではいろんなものや人に

怒り、憎しみ、蔑み、そう言う所謂負の感情に突き動かされているのだなと

29歳になって改めて自分を客観的に見て思う。

本当に大事だと思う友人と、家族を除けば、

日々の生活の中で他人を心の中でボロクソに罵っていることが多い。

ここでは書き記せないくらいのことを毎日言っている。

 

そういうのっていつからだっけ?と思ったら

多分小学生とかそんな時からじわじわそうなってきている気がする。

自分を傷つける行為が始まったのは、その自分の中に渦巻いている、

どす黒いものに突き動かされて、実際に人に危害を加えることを避けるためだったのかと思った。

 

こういうこと書いてしまうとなんか色々問題がありそうだけど、

よくある少年犯罪とかの、”人を殺してみたかった”というのは

わたしは実は理解できたりする。

小学生くらいから、そういうことを考えたことがあったから。

実際に実行に移すことはなかったけど。

ただ、そういう自分の思考が怖くなって、外に向く前に自分に向けただけ。

今でもそういうこと思わないかって言われたら嘘になる。

別に何かひどいことをされたとか、嫌なことをされたから、

とかではなく、ただ、なんとなく。

でもそれで出る結果なんてたかが知れてるからやらない。

人を殺したところで、何かが変わるわけがないし、

そんな理由で被害に合う人がいるなんて救いようがない。

 

この前お花屋さんとあった時にこの話をした。

「俺には理解はできんけど、やっても何にもならんやん」と言われた。

ちゃんと聞いてもらえたことが、わたしとしては、驚きだった。

それと同時に、自分の持つ危うさに怖くなった。

今は自分で自分をコントロールできているけど、

何かのきっかけでコントロールできなかったらどうなるんだろう。

 

結局、未来のことなんかわかんないしどうしようもないのだけどね。

とりあえず自分の中に渦巻いてるどす黒いものを、生きていく原動力に変換していって

今は展示に向けて作品を作ろう。

本当は通院の時にカウンセリングとか受けて、

自分のこういうところを見つめ直したい気持ちはあるのだけど

病院のカウンセラーが枯渇してるようでなかなかうまいこといかない現実。

それはそれでものすごく苛々が募るけど、

それもどす黒原動力に回すしかないよね。

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